運命と呼ばせて欲しい

運命は安易な現実肯定論だというけれど、まったくその通りだと思う。

でも、そうだったとしても、私は運命というものがあって欲しいと思う。神を信じる感覚に近い。

あの人と出会ったのも運命、別れたのも運命。

そう考えると楽になれる。

その出会いや別れが私の何かを変えたのならそれは運命なんじゃないかな、なんて思ったり。

いや、その出会いや別れに意味があったって信じたくて、便宜上運命とよんでるだけのものなんだ、私の運命は、なんて思ったり。

どちらにせよ、わからないから好きに都合よく考えていいと私は思うんだ。本能寺の変について書かれた本がたくさんあるみたいに、自分と他者の意見の違いを諸説ありで片付けたい。

私は運命を信じるし、自分を信じる、本当に自分が信じたいと思っているものを見極めたい。

 

なんかこの文を書いてるときにもデジャヴみたいなのが起きて(これは私が病的だからかもしれないけれど)、傷ついたって言葉が出てきた。

ごめんね。幸せになって欲しいと思う。こう思うことで自分が楽になれるから思ってると思いたいだけかもしれないけれど、それでも幸せになって欲しいと思うって書く。

ごめんなさいの方が大きいしこの言葉を使うのは憚られるけれど、ありがとう。さようなら。

 

毎回毎回懺悔みたいなブログしか書けなくてごめんなさい。