人生で1番の。

昨年の夏も「今年の夏が人生で1番の夏!」と言っていたように今年も今年の夏が人生で1番の夏になった。

私の記憶の中の思い出はどんどん上に重ねられていっているように感じる。

もちろん全ての記憶は個々にわけられている、はず。

でも私の記憶の本棚は整頓されていないためか、ある人について思い出そうとするとその人について「〜な人だったなあ」とかそういう抽象的なものしか浮かばなくなる。それ以上に楽しかったこともあれば悲しかったこともあってもっと複雑な感情を抱いていたはずなのに…思い出せないのが当たり前なのかな、と思うとかなしくなる。

そういうかなしさを持ち続けていたら自分自身が過去の人になってしまうとわかっていても、かなしくなる。

 

そんなことを考えてしまう人間だからかな、最近人生で1番の失恋をして、そのかなしさから抜け出せなくてずっと憂鬱だった。(現在進行形かもしれないけれど)

やっとマシになってきた。

寝ることもご飯を食べることもできなくて、たぶんこれは本当に「人生で1番の、」だった。

 

あの人とは短い期間ではあったけれど、とても深い付き合いをさせてもらった。

なんというか、良くも悪くも深い付き合いを。

私もあの人もまだ幼くて精神が不安定で最終的には傷つけあって関係は終わったけれど学ぶことがたくさんあったと、本当に出会えてよかったと思う。(私は前世とか神様とかそういう目にみえない不確かなものを信じているから、魂を昇華させるための縁だったんだと勝手に都合よく考えている)

 

ただ、まだ、あの人が思い続けている綺麗なメデューサを学校でみると肝が冷えて石になってしまう。

私はあの人とその綺麗なメデューサがくっつくことに劣等感を抱いている。

あの人にはもう当分(いや一生かもしれない)、連絡することも会うこともないけれど、その綺麗なメデューサは学校を卒業するまで見続けることになる。

私はその度肝を冷やし続けるのかと思うとそれにまたゾッとする。

でも、ゾッとしているうちは「まだ」なんだろうとそこで気付かされる。

ありがとう。

男とか女とか、欲とか関係なく、あたたかい やさしい心 光 つつめる日がくるように。